双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)とのんびり付き合っていこうと絶賛奮闘中!
えりすです♪
6月に落ち込んだ原因となったのは、
ハローワークでの求職活動での出来事が原因でした。
4月末に、仕事を退職したので、
5月末にハローワークに行ってきました。
総合受付に行くと、
受付「①~⑧の項目に該当はありますか?」
えりす「③の躁うつ病に該当します」
受付「では、3番の障がい者窓口にお願いします。」
えりす「障がい者手帳を持っていませんが?」
受付「それでも、躁うつ病の治療中の方は障がい者になります」
なんとなく、スッキリしない気持ちでいるものの、手続きを済ませて帰宅。
ネットでも調べて、以下が分かりました。
1.ハローワークにおいて、精神疾患がある場合は、障がい者として求職活動を行う。
2.障がい者手帳がない場合は、逆に仕事が見つかりにくい。
3.主治医の意見書に、週20時間以上の勤務が現在可能か?
また、注意すべき点があるか?の記載をしてもらい、提出すること。
正直、ショックでした・・・
体調は良くなってきていて、
整形外科での首、腰のヘルニア・手根管症候群による、
痛みや痺れは感じにくくなってきているし、気分もとても安定していたから。
彼氏が帰宅後、
「障がい者って言われちゃった」と号泣しました。
もちろん、様々な形で、心身に問題を抱え、ご苦労されている中、
仕事をされている方は沢山いらっしゃると分かっています。
分かっているつもりでした・・・
まさか、自分がそういう線引きをされる日が来ると思ってなかった。
前向きにとらえれば・・・
自分の心身の状況をしっかり把握してもらった上で、
仕事に就くことが出来れば、安心して長く勤務することが出来るかもしれない。
うまく状況を気持ちが受け止められなくて、その日から、一気に体調を崩しました。
毎日数時間、涙が止まらない時間が続いたり、
『障がい者』というレッテルを張られた思いを、
母に慰めて欲しい様な、母には知ってもらいたくない様な、
でも、母に会いたいという気持ちは日に日に募っていきました。
数日後、気分転換に買い物に行った帰り、
急に一気に視界が狭くなり、何とも言えない恐怖感に襲われ、
歩いて帰るつもりだったけど無理だと判断して、タクシーで帰宅しました。
タクシーの中で涙が止まらなくなってしまって、
実家のすぐ近くに住んでいることもあり、実家にそのまま向かいました。
号泣しながら、実家に入ると、驚いた母が、何があったのか聞いてくれました。
泣きながら、説明すると、
「私は優しくないから…」と前置きした母から、
「そういう言葉に惑わされて、泣いて、
周りの人間は、いきなり号泣して家に来たら驚くの。
そうやって心が弱いから、そういう病気になるのよ!
ネットで調べても同じことが書いてあるのなら、
ハローワークでの対応は正当で、
あんたは周りから障がい者として扱われる存在なのよ!」と、怒られました。
ただ、慰めて欲しくて、出来れば、ほんの数秒でもいいから、
お母さんに抱きしめて欲しかった。
思えば、最初にうつと診断を受けてすぐの頃、
「ねぇ、おかあさん!長崎の旅行、ホント楽しかったよね!また行こうよ!」
と、話しかけた時、
「あんたはずっと眠っていたの。そういう怖いこと言わないで。」
そう言った母の冷たい目、おびえた目は今でも覚えています。
母は、私より、妹の方が可愛くて、いろいろ信頼を裏切る行為をし続けた私に、
愛情はないんだ・・・そう思って、ショックを受けました。
数か月前に、一度、勇気を出して、
「少しだけ抱っこして?」とお願いした時、
「甘えん坊だね。さみしい思いさせて、育てちゃったかな?」
って言いながら、少しだけ抱きしめてくれたのが嬉しかったから。
だから、母の愛情を感じたかった。
しばらく、カフェオレを飲みながら、テレビを見て、ごまかして家に帰った。
涙は止まらなかった。簡単に、現実を受け止められない。
っていうことがあったのが、原因でした。
この後、約1ヶ月ほど、1人で外出することが出来なくなりました。
周りの人の目が怖くなってしまったのです。
外出して、パニックを起こしてしまわないだろうか?
周りの人は、私を障がい者だと気づいてしまわないだろうか?
そんなことばかり考え、泣いて過ごしていました。
お読みいただきありがとうございました。
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