双極性障害2型(躁うつ病)とのんびり付き合おうと、絶賛奮闘中!!
えりすです♪
2010年冬、事務所で休憩していた時の出来事。
同僚 「あれ?えりすさん、首のところ膨らんでるよ?」
えりす「え?ウソ?!」
慌てて鏡を見ると、正面からは分からないんだけど、
首を横に向けた時に、
左の首の真ん中あたりがぷっくりと腫れていることに気が付きました。
でも、その時はまだ、
来月健康診断だから、まぁいっか!その時に見てもらえば~♪
と、お気楽に過ごしていました。
健康診断での内科触診にて、
「早急に総合病院にて検査をしてください」とのこと。
近所の総合病院で触診の後、
「組織検査をしてみないと何とも言えないので、とりあえず検査をしましょう」
というわけで、すぐに検査。
結果は、2週間後でしたが、
「ご家族と一緒にご来院ください」との連絡。
その時点でなんかイヤーな予感がしたんですよね~
がんの告知
母と二人で、検査結果を聞きに行くと、
「患者さまはこちらに、お母様はこちらにおかけください」
と、なんだかすでにもう診察室の空気はピリピリ・・・
私と母の座った後ろに、
それぞれ1人ずつ、看護師さんが立ちました。
「あ~これが告知ってやつか・・・」
そんなことを思っていると、説明が始まりました。
「腫瘍には、良性腫瘍と悪性腫瘍があります。
今回、えりすさんの検査の結果、
悪性腫瘍だということがわかりました。
クラスが1~5まであって、クラス1が~」
ものすごい長い時間に感じました。
いや、わざとゆっくりと落ち着いたトーンで、
私たちが混乱しないようにとの計らいで、
先生が説明してくれたからだと思います。
母はもうすでにパニックを起こしかけてるのが、
手に取るように分かりました。
だから、私は、わざと明るく振舞ったりしながら、
とても落ち着いた気持ちで聞いていました。
簡単に言うと、
1.悪性腫瘍のクラス4で、すぐにでも摘出手術をする必要がある。
2.甲状腺の癌は発育がとても遅く、既に8年は経過している可能性がある。
3.体中に転移している可能性もある。
とのことでした。
ただ、近所の総合病院は、
あまり評判がいいとは言えないところだったので、
「他の病院での手術をしたい」と母は伝えました。
「体調を一気に崩される方が多いので、
この後、精神科を受診し、安定剤を処方してもらってください」
とのことで、安定剤をもらって帰宅。
まだ、現実を受け止めていなかった私は、
病院を出るときには会社に電話をし、
「すいません。なんか癌でした!」と元気よく話した記憶があります。
上司は、非常に心配してくださり、
「とりあえず、最低1週間は休めよ!コレ、命令な!
あ、後、彼氏とか家族と旅行とか、何でも好きなところ行って来いよな!」
と、とても暖かい対応をしてくださいました。
大きな病院での再検査
父が、知り合いの方に相談し、都内の大きな病院を紹介していただきました。
会員制で、年額数百万のVIP用の病院!!超キレイでしたよっ♪
そこで、告知から2週間後に、再検査となりました。
紹介状を渡して、組織検査、MRI、血液検査などをし、
2時間ほどカフェでお茶して待ってると、
(超眺めも良くて、ケーキもおいしかったな~)
もう全ての結果が出たとのこと!!
普通の病院と、こういうVIP専用病院は、
やっぱり違うんですね!
その日の内に、全ての結果が出る!
再検査の結果は、
1.腫瘍は悪性のものである
2.甲状腺乳頭がんという病名になる
3.クラスは1で、全身転移は考えにくい
4.PET検査で、後日詳しく転移があるかを念のため確認する
5.手術で取ってしまえば、今の段階では問題ないと考えられる
と言うものでした。
全然、近所の総合病院と結果が違うんですけど!!!
でも、いい方に結果が違ったので、良かった~(安心)
後日のPET検査に関しては、
系列の一般病院を紹介していただき、
1.転移の可能性はないと予想される
2.ただし、手術で開いてみてから、再度判断する可能性がある
とのことでした。
検査入院
告知から、2週間後に、大きな病院で再検査をし、
摘出手術のみで治療は出来そうだということが分かりました。
実際に手術をしたのは、2011年1月下旬でした。
なので、再検査から約2ヶ月での、手術入院となります。
愛煙家だったので、
「手術が終わるまでは喫煙すること」を義務付けられました。
職場で上司と喫煙所で、
「よし!えりす!手術が終わるまで、これが最後の喫煙だ!
帰ってきたら、うまいタバコ吸おうぜ!」
と、約束をしたのですが、一切守れませんでした(笑)
検査入院、手術、術後の確認込々で、入院期間はたったの1週間。
5人の大部屋にしてもらえたのですが、
さすがに、ガン病棟だったということもあり、
皆様とても重い症状の方が多くて・・・
私の場合、痛みなど体の症状は一切なく、メチャ元気なんです!
(8年程ガンが育ってきたのに気づかなかった位ですから!)
最初は、浮いてる感があって、
カーテンをなるべく閉めて過ごしていました。
朝の検温、食事、昼食の後、夕食までとにかくやることがない・・・
暇だろうなぁって思っていたので、事前準備として、
パソコンなどのWIFI機器は、持ち込み禁止だったので、
ペン習字練習帳・DSを持ち込みました。
(と言っても、当時はまだガラケーでしたけど・・・)
消灯は21時と早いので、眠れるわけもなく・・・夜中はDSに明け暮れました!
(ちなみにやっていたゲームは、『逆転裁判』でした)
で、昼間の暇な時間は、
そーっと着替えて、近くの駅前のタリーズに駆け込み、
美味しいコーヒーとケーキを頂きつつ、タバコを吸う毎日を送っていました!
(皆様は絶対にマネしないでください!)
入院期間中、年齢の近い女子を、同じ大部屋にしてくださったので、
途中からは、3人でいつもワイワイ喋って過ごせました!
治療の方ですが、主治医は教授で、
サポートの若い先生が同じ甲状腺がんを高校生の頃に経験され、
手術後の痕が残らないようにするテープを張るのをサボり、
ガッツリ痕に残っているので、「ちゃんと貼るように!」と、見せてくれました。
女子的には10cmくらいの傷跡が、
ちょうど鎖骨あたりに残るのはとても嫌だったので、
(タバコは辞められなくても・・・)
手術後にテープだけはシッカリ貼ろう!と誓いました。
告知~入院中に思っていたこと
告知を受けた際、ショックを受けている母を刺激したくなくて、
わざと明るく振舞ったり、冷静にしていた私ですが・・・
間もなく、気持ちの変化が現れました。
最初の段階では、全身転移の可能性もあった為、
震えるほどの恐怖が襲ってきたのです。
死ぬかもしれない・・・という恐怖です。
死にたくない・・・死にたくない・・・死にたくない・・・
その頃、よく聞いていたのが、
アニメ マクロスFのライオンです。
この歌詞の中に、『生き残りたい まだ生きてたくなる』っていう所があるんですけど、
最初はココばかり繰り返していました。
でもこの歌の最後が、私を勇気づけてくれました。
『本気のココロ見せつけるまで 私 眠らない』
よし、生きよう!生きてみせるんだっ!
そう思い始めました。
その後も、『摘出手術で治る』・『転移の可能性は低い』と知った後も、
『全身麻酔手術となるため、危険が全くないわけではない』ので、
昼夜関係なく、定期的に大きな恐怖が襲ってきました。
でも、歌に励まされながら、部屋で大きな声で歌って、
『癌で死ぬかもしれない』という恐怖と闘い続けました。
家族の前では、不安がない様な顔をしながら、
自分の部屋にこもっては、涙を流しながら歌ってごまかしていました。
甲状腺乳頭癌(全身麻酔摘出手術)
検査入院中、実際の手術の前に、手術にあたって、沢山の規約を読み、
もしかしたら死ぬ可能性があることが記載された書類にもサインしました。
度々、病院を抜け出すなど、やんちゃをし続けた私ですが・・・
手術前日の段階で、指に何か装置をつけて、数秒測ると・・・
タバコ吸い続けていたのがバレました!(汗)
もちろん、注意されましたが、手術は明日決行で、問題ないとのことでした。
手術前夜、緊張で眠ることは出来ませんでした。
念の為と、頓服をもらっていたので、それを服用して、何とか就寝。
ただ、幸運なことに、私は首の所にある、ちょうちょのような形(甲状腺)の、
触覚部分にあたるところが腫瘍部分だったので、
4~5cm程切って、切除をするだけでした。
元気な状態ですので、タンカーに乗ることもなく、
自分の足で手術室まで歩いていったので、
自分の手術室まで他の手術室もあって、
キャー!白い巨塔みたい!テレビみたい~!!!
と、テンションMAXでした(笑)
手術室に入ると、大きなモニターがあったり、
手術台も、その上のやたら明るいライトも、
私にとっては楽しくてしょうがなかったです(笑)
実は、私の腫瘍が出来た個所が珍しかったらしく、
上の方のガラスルームから多くの白衣の方がたくさん来ていて、
切除した腫瘍を何か研究に使用するらしく?
そういうサインもしていました。
さて、いよいよ全身麻酔。
「10秒数えてくださいねー」とマスクをされた後、
よし、数えてやる!と意気込んだものの、
あっという間に意識が遠のいて・・・
気が付いた時は、人工呼吸器を外す時。
苦しくて、咳き込んで目が覚めて、
あまりの苦しさに外してくれた先生の腕を、全力で爪を立てた記憶があります(笑)
が・・・直後にまた眠りにおちる。
次に起こされたのは、「切除した腫瘍ですよー」って見せてくれた時!
両親にも切除した腫瘍を見せたようですが、
手術が無事に終わった安心と、初めて見る腫瘍にテンションが上がったのか、
摘出した腫瘍を、携帯に写メ取りまくったそうです(笑)
見た目は、砂肝のようだったそうで、
母は以来、砂肝が食べられなくなってしまっています。
私は、食べますよ!大好きですから!
手術当日は、全身麻酔の影響でず~っと寝てましたが、
傷跡を固定するために、首にコルセットもしてたのですが、
そんな状態で一瞬目を覚ました時に、「ピースして!」と言われ、
うつろな目で母に写メを取られました!(笑)
心配な気持ちを抑える為なのか、ホッとした気持ちが強かったのか、
私が不安がらないようにする為なのか、母はとても笑顔で接してくれました。
普通翌日は、まだ食欲が戻らないそうで、ほとんどの方が食べられないという中、
私は、朝食のおかゆを完食し、お昼からは通常職に戻してほしいとお願いしたくらい、
すごい回復を見せました!
手術から2日後、退院。
半年に1回くらいのペースで、数回病院に通いました。
手術の痕ですが、筋肉を縫合し、
表面の部分は、今で言うキズパワーパッド的なものを貼り、
自己治癒力で治していったので、
今は、ほとんど傷跡は分かることはありません。
ほら、首って、年を取るとシワが出来るじゃないですか?
ちょうど傷の所にシワが出来て、うまい具合に隠れてくれました~♪
特に、転移は見られず、癌の治療に関しては安心しています。
とは言え、半年~1年に1回程度、触診やエコー検査のため受診するのですが、
私は2年半ほどで面倒になり、途中で通うのを放置したままです。
家族からは一度受診するようにと勧められているので、
年内には、久しぶりに受診が出来たらと思っています。
伝えたいこと
やはり健康診断は本当に大切だということです。
私の場合は、大学を卒業してから、1度も健康診断を受けていませんでした。
アルバイトで入って、契約社員になった会社で、
1年に1度の健康診断を受けた際に、腫瘍があることが分かり、
そこからバタバタと慌ただしい日々が続き、手術に至りました。
父のおかげもあり、大きな病院で短時間で精密な再検査を受けたり、
主治医が教授だったこともあり、本当に安心した環境で、治療を受けられました。
実家から遠いのに、電車とバスを乗り継いで、約1時間半の距離に、
毎日のように来てくれた母にも、本当に感謝しています。
癌の治療の後、双極性障害と診断を受け、
自殺念慮、希死念慮に悩まされ、苦しい日々を過ごしたこともありますが、
この時の異常な精神状態と比べても、どちらがより苦しいかなんて、比べられません。
癌の発覚も、双極性障害の治療も、私にはとても辛いものに感じます。
でも、私は、双極性障害と生き、寛解を目指して、努力していきます!
お読みいただき、ありがとうございました。
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